北栄みらい伝承館 特別企画展-北栄町の人物伝-「正墻適處と研志塾」
鳥取藩の漢学者で、晩年に久米郡松神村(現北栄町松神)に移り住んだ正墻適處(1818年~1875年)と、適處が開いた私塾「研志塾」について紹介します。
鳥取藩医の子として生まれた正墻適處は、武技を好み、建部樸斎に学問を学びます。その後、良い先生や学友を求めて全国をまわりながら、学問や画、詩文の才能を磨いていきます。1853年、松山藩に召抱えられますが、鳥取藩主・池田慶德に鳥取に呼び戻され、藩校「尚德館」で藩士の教育にあたります。また、鳥取城下に私塾「研志塾」を開き、藩内外から多くの学生を集めて教育します。
1873年、一切の官職を辞して、弓原村の豪農・岩本廉蔵の要請にこたえて松神に移住し、隆光寺本堂に「研志塾」を再開し、地方の子弟教育に心血を注ぎます。「研志塾」からは優れた人材が多数輩出され、地方の発展に貢献しました。
この展示では、正墻適處が松神に移住して150年になるのを機に、改めて適處の人となり、適處が制作した詩画文墨の作品のほか、適處が開いた研志塾について紹介します。